怠(おこた)
兎にも角にも世の中
「好きなこと」で生きていこう
とか、
「本気になれること」を見つけよう
的な言説に溢れている気がする。
いや、否定はしないのだけれども。
たしかにそっちの方がハッピーではあるけれども。
思うのは、そこでいう「好きなこと」「本気になれること」というのは
能動、積極、作為
を前提にしているなあ、ということなのだ。
要するに「何かをする」ことが念頭に置かれている。
なーんもしないでなんかなんとなくぼーっとしているのが好き
っていう人は、どうすればいいのかな、と思っちゃうわけだ。
まあ、ぼくなんだけど。
いいのか、本気になって…………? お見せするぞ、本気の怠けってやつを……。
大谷崇『生まれてきたことが苦しいあなたに 最強のペシミスト・シオランの思想』(2019年、星海社)という本の中には、こんな一節がある(96頁)。
何かを「する」ことだけが重要なのではないのだ。この世に生まれたからには何かをしなければならない、というわけではないし、何かを生産しなければならないわけでもない。「行動したり、創造したりすることだけが問題ではない」のだ(『シオラン対談集』254頁)。
勤労と同じくらいの怠惰も愛すべき美徳だと思うわけだけど、なかなか難しい。
まあ、とはいえ、四六時中ぼーっとしていられるほどぼくも徳の高い人間ではないので、暇潰しになんかいろいろすることはもちろんある。労働とかね。
しかし「人間の不幸などというものは、どれも人間が部屋にじっとしていられないがために起こる」とパスカルは『パンセ』で言ったらしい。けだし名言である。
おこたでぬくぬくしてるほうがしあわせね。
お些末様でした。